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日蓮って ver.31 [転載禁止]©2ch.net

1 :山椒島 ◆AUtVVr2znk :2015/03/05(木) 23:28:59.53 ID:RzVvwurC
日蓮って ver.30
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/

「日蓮って」過去ログ
http://hyakkimaru.nukenin.jp/

創価学会の教義と日蓮仏法について、真面目に語るスレッドです。
創価学会擁護の論客もふるってご参加下さい。

コテハン推奨。sage推奨。「荒らし」は無視で。
スレが荒れる原因になりますので、暴言や挑発、嘲笑、語尾のwwwはNGです。
スレ違いの話題はほどほどにして下さい。

初心者の方も教義についての質問があればお気軽に書きこんでください。

2 :米山士郎 ◆jI9WHdcIZs :2015/03/07(土) 15:31:27.03 ID:PKb2/Omd
1乙

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/08(日) 12:17:12.83 ID:2zKUsHOg
>>1
謹んで乙です。

ところで前スレ737の続きだが、ただ外見的に密教が呪術のように誤解されるのは確かである。
サンスクリットを含む印欧語に広く通じ、漢訳仏典にも造詣が深く、仏教関係の著書も多い渡辺照宏氏によれば、
16世紀に渡来したキリスト教の神父たちが真言宗の法要の完備したありさまを見て驚き、悪魔がカトリックの礼拝様式を盗んだと思ったらしく、
「カンバドシ(弘法大師のこと)は釈迦の宗徒の中のもっとも凶悪な僧で、妖魔を崇信させた」などと記しているそうだ。
しかし逆に密教の観法を真似て曼陀羅の代わりに十字架を使った観法を広めたりもしたキリシタンらもいたらしい。




ただ外見的に密教が呪術のように誤解されるのは確かである。
サンスクリットを含む印欧語に広く通じ、漢訳仏典にも造詣が深く、仏教関係の著書も多い渡辺照宏氏によれば、
16世紀に渡来したキリスト教の神父たちが真言宗の法要の完備したありさまを見て驚き、
悪魔がカトリックの礼拝様式を盗んだと思ったらしく、
「カンバドシ(弘法大師)は釈迦の宗徒の中のもっとも凶悪な僧で、妖魔を崇信させた」などと記しているそうだ。
しかし逆に密教の観法を真似て曼陀羅の代わりに十字架を使った観法を広めたりもしたらしい。

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/08(日) 12:19:59.86 ID:2zKUsHOg
3は見苦しい重複になってすまん

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/08(日) 20:08:22.39 ID:40NIyfgF
>>3さん
>密教が呪術のように誤解されるのは確かである

どのように誤解されておられるのでしょうか?
まさか、藁人形を釘で打つような呪いの方法と思っていらっしゃいますか。
このレス住人の方々は、そのような誤解は持ち合わせてはいないと思いますが、
前スレの737貴殿が宛てた ID:7VKoCjiRさんの見解をみても、そのように感じられます。

まず、この“呪う”という意味がどのようであるものなのか?・・と、般若心経を例にとってみても、
文末の、
 『羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経』
と、陀羅尼が唱えられていますところが該当されると思います。
私の資料では、この陀羅尼の現代訳では、
 『住ける者よ、住ける者よ、彼岸に住ける者よ、彼岸に到れる者よ、菩提よ幸あれ』
と、祝文にも思えるようなことでもあるようですね。
日蓮宗で行う加持祈祷なども、このような祝文ではないにしろ、邪気払いや厄除けとしての
意味合いがあると思います。
どうも、折伏と呪術が混同された解釈はちょっと違うのではないかという貴殿の見解には同意します。

6 :山椒島 ◆AUtVVr2znk :2015/03/08(日) 20:55:10.20 ID:fLvbPflY
(前スレ) http://anago.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/729 さん

あはは、普通にしゃがむか座るかして乗り出したんじゃないでしょうか(笑
もちろん、もしその話が事実だとして、ですけれども。

ふと思ったのですが、この明星の池って、どこの池なのでしょう?
弥四郎国重の光楠献上伝説と併せて、無意識に七面山だと思い込んでいました。

でも、虚空蔵菩薩に祈り、後に俊範に話しているということは、十代前半の話ですよね。
ところが、日興もその場にいて共に見ているような記述が続いて、よく分かりません。

ま、どうでも良い御伽話と言えば、確かにその通りなんでしょうけど(笑

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/08(日) 21:54:20.88 ID:40NIyfgF
>>6山椒島さん
日蓮大聖人ならではの“前かがみ45度”の体勢は絶対に絶対出来ると思います(キリッ
私としては、しゃがんだ日蓮像ってあまり想像したくないな〜ぁ。

七面山といいますと、あの板の元になった楠がぷっか〜って浮いてきたっていう池ですね。
これだと時系列が合わないので、また別の池が千葉あたりにあったのでしょうね。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/08(日) 22:15:12.43 ID:40NIyfgF
>>3さん
 『羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 』

「わかった、わかった、ほとけのこころ。
 すっかりわかった、ほとけのこころ。
 ほとけさま、ありがとう」

と、訳されてもいますし、そこでちょっと調べてみましたら・・・、

現代語其の一
 往き往きて、彼岸に往き
 完全に彼岸に到達した者こそ悟りそのものである めでたし。
現代語其の二
 唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。
 悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。心配すんな。大丈夫だ。
現代語其の三
 渡ろう、渡ろう、彼岸に渡ろう、すべてを越えて彼岸に渡ろう、そこにある無上の目
 覚めに幸あれ!
現代語其の四
 往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に正しく往ける者よ、 菩提よ、ささげ物を受け取り給え
現代語其の五
 渡れよ 渡れよ 六波羅蜜の河を渡れよ 対岸めざして脇見をするなよ 大願成就 
 (やったぞ やったぞ とうとうやったぞ 苦しむ生き物、少しもいないぞ 大願すでに成就せり)
現代語其の六
 行った 行った 彼岸に行った。彼岸へ完全に行き着いた。悟りよ 幸いあれ!
現代語其の七
 “Gone, gone, gone to the other shore, and completely landed on the other side.
  Congratulations on the enlightenment!”
現代語其の八
 行ったものよ 行ったものよ 彼岸に行ったものよ 彼岸に完全に行ったものよ 悟ったものよ 幸福なれ

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/08(日) 22:15:58.39 ID:40NIyfgF
現代語其の九
 度らせたまえ、度らせたまえ、完全に度らせたまえ、
 完璧に度らせたまえ。悟りに幸いあれ。 
現代語其の十
 行こう 行こう 真実の世界に行こう
 みんなで共に行き 仏の悟りを成就しよう。
現代語其の十一
 往こう,往こう とらわれなき悟りの世界(彼岸)に往きて
 とらわれなき悟りの世界へ(彼岸)一人残らず往きて 悟りよ幸いあれ
現代語其の十二
 「唱えてみ、ほんだら心は消えて魂は静まんねん、要はそう言う事やねん」
 「悟りはそん時に叶うって、全部はこの真言に成就すんねん」
  心配せんでええで、大丈夫やから。

・・・・と、結構ありますね。汗

10 :山椒島 ◆AUtVVr2znk :2015/03/08(日) 22:50:04.45 ID:fLvbPflY
>>7 さん
日蓮が虚空蔵求聞持法を修したという伝承は12歳頃の話ですから、七箇相承もそのイメージで
書かれているのだろうと思います。例の、経巻を手にした壮年期の立像で考えたらダメですよ(笑

もっとも、板曼荼羅でしたら、台座にガッチリ打ち付けられているそうですから、45度でも60度でも
問題無いと思います。「生身の御本仏」様が、実は十字架のキリスト状態というのもあれですけど。

あと、水に濡れた木材は、何年もかけて乾かさないと、ヒビ割れなどでボロボロになるそうですね。

11 ::2015/03/08(日) 23:18:39.70 ID:40NIyfgF
>>10山椒島さん
たとえ45度で耐えたとしても、流石に60度となりますと顔面を打ってしまわれるのではないかと!

>水に濡れた木材は、何年もかけて乾かさないと

ですよねw
日達氏が言ったとされる「半丸木」でしたか、このようなものでも背割れをおこすのではないかとも思われますが、
それが仮に板となりますと、乾く過程に反りが生じてくるとも思いますが、さてどのように修復してきたのかと思ったりもしますね。
とくに、あの本尊の化粧直しとやらはいつ頃から行ったものなのか、漆を塗るにしてもよほど乾燥していませんと塗れませんでしょうし。・・・名無しで失礼します。スチールカン

12 ::2015/03/09(月) 00:59:37.02 ID:HJGxcgQG
60度より45度のほうがキツイですね。
このときの足首の角度って何度になるだろうか?

まぁ〜いっか、こんな話。
>>11レス訂正します。

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/09(月) 08:15:07.66 ID:62/W7Gac
>>5
密教の修法を呪術行為のように誤解されていると私がいうのは、わら人形云々というような「呪い」としてではない。
前スレの最後で列挙したような、もっとひろい意味での「現世利益の祈願」と言う意味をもふくむ呪法や魔法の類としてだ。
もっともどの宗派でもお守りや厄除け祈願などは一般向けにやっているが、私がいうのは教義の域においての話だ。
おうおう誤解されるように真言は、単なるおまじないや呪文でもない。印契もまた然り。しかし密教の神秘性と相俟ってそう誤解される。
たとえば忍者が両手で大日如来の智剣印を結んで真言を唱え、忍術を使うというシーンなどは昔から多い。
あなたが8と9にあげた般若心経の真言も、各種の訳はその通りだが、これは真言なので訳しては逆に意味を失う。
わけのわからないことがいいという意味ではない。軽薄にうわべの意味だけが上滑りされていくのが良くないということだ。
ここが密教の特徴で、身口意の三位一体の修行で体得しなければならないとされる。
空海が最澄の般若理趣経の借覧を断ったのもこのためだ。経文を読んで前スレの人のように、「煩悩即菩提」を軽薄に誤解する人が多い。
般若心経の真言も元々は不翻といって翻訳されなかった。羅什も玄奘も翻訳してない。真言は読解するものではなく唱えるものだからだ。

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/09(月) 08:50:05.54 ID:EjQb+JqP
200:ギャグ係◆dQO3LlCLQE :2015/02/10(火) 01:16:48.57 ID:umK1j+Bz
 恥知らずの地獄のきんまんこ卑怯火病巨悪カルト創価は平日の午前中から俺に粘着してる奴の正体が
恥知らずの地獄のきんまんこ卑怯火病巨悪カルト創価だと言う証拠はあるのか、などと卑怯者丸出しだが、

>お題目で病気が治らず

 こんな下らない発想をするのが恥知らずの地獄のきんまんこ卑怯火病巨悪カルト創価以外に居ると言うのかね。(-人-)

↑内部アンチの在日朝鮮人だが自分にしか通用しない造語を1レスに3回も使用している。

あからさまに統合失調症の特徴が現れている。
それ以前に何らかの薬物で完全に脳が破壊されているようだ。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/09(月) 13:45:11.72 ID:A0XsDgGV
日蓮教の法華講や創価の人がよく「成仏」といいますが、何をもって成仏と言っているのでしょうか?

16 ::2015/03/09(月) 21:39:04.02 ID:HJGxcgQG
>>13さん
そこまで難しい話とは知らずに横レスしたことをお詫びします。

>真言は読解するものではなく唱えるものだからだ。

これって、唱える前には読解するものではないのでしょうか?
釈迦当時なら口から口へと伝えられてはいったでしょうけど、今は文字があって真言を知るものかと思ってしまうのですが。
たとえば龍樹がいう二種の菩薩、「者習禅と者学読」とがいるようでして、文字陀羅尼は否定はしてないようですね。

「オン ギャー」・・・・たとえばこれは赤ん坊の泣き声ですが、貴殿の、

>これは真言なので訳しては逆に意味を失う。

というような感じの意味でありましょうか?不仕付けな質問で申し訳ございません。

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/10(火) 08:09:31.20 ID:4MFpJ70i
>>16
いえいえ、こちらこそ横レスで介入した失礼の咎をお詫びします。

>これって、唱える前には読解するものではないのでしょうか?
そうでもないのです。これはヴェーダの時代にさかのぼる古い言葉で、宗教儀礼に使われた聖句とされています。
いわば、神々とコンタクトする合言葉とでもいいましょうか。それが後期仏教に習合されて密教になりました。
釈尊は理法を重んじ、呪術に否定的でしたが、仏教も後期になるとヴェーダの神々まで仏教に帰伏させるに至ったのです。
合言葉ですから意味よりも音が重視されるのです。通俗本には意味を載せていることもありますが、かなりテキトーです。
それに元の意味が定かでないものもあります。上にある般若心経の末尾の真言も解釈が定まっているわけではありません。
しかし、神に合言葉=挨拶が伝わればいいわけです。

>「オン ギャー」・・・・たとえばこれは赤ん坊の泣き声ですが、

おそらく思いつくままに書かれたのでしょうが、実にその通りなのです。
地蔵菩薩(梵名クシティ・ガルバ=大地の子宮)の真言は日本では「オンカカカビサンマエイソワカ」です。
このカカカは「呵々大笑」のカカで、梵音では、hahahaですが、これはそのものズバリ笑い声なのです。
笑い声の真言もあるのですから、赤ん坊の泣き声の真言もあるかもしれません。
とくに「オーム」(またはオン=Om)はヒンズーでも密教でもことに敬われる有名な聖音ですが、こうなると意味も何もないでしょう。

話を元に戻しますと、真言密教は、題目を唱えれば功徳があるとする日蓮教や創価とは似ても似つかぬものだと指摘するために、
密教について私は述べましたが、これは密教にかぎらず、日蓮系以外の伝統的な仏教宗派は現世利益を説いてはいないように思います。

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/10(火) 09:14:01.78 ID:4MFpJ70i
17の補足
要は密教の場合、曼陀羅や真言や印契などで、煩悩や迷いを滅するように修業しているので、
日蓮教や創価信者のように煩悩の充足を祈願して題目を唱えているのとは、正反対です。
密教の修行は外見的には神秘的で派手なようですが、禅宗で座禅を修するのと本質的には同じです。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/10(火) 15:31:59.59 ID:6+Onh9b6
>>3>>17-18
>密教について私は述べましたが、これは密教にかぎらず、日蓮系以外の伝統的な仏教宗派
は現世利益を説いてはいない

前スレの725ですが、真言密教については出家者の修行については必ずしも現世ご利益は
前面に出てこないかもしれないものの、空海の思想は仏教から一神教的なものへの飛躍が
顕著ではなかったでしょうか。

密教には瞑想的修行ももちろんあるものの、空海は伝統的な仏教から飛躍した
一神教的な「宇宙=神の現れ」としての世界観に基づくそれとの結合の概念に
救いも成仏もご利益も回帰させ、仏教流の面倒くさい哲学から、真言によって
宇宙の無限の源に繋がることで、すべてが簡単に解決、飛躍、転換するという思想を
表明したものと思われます。たとえば「空海の思想について」講談社/梅原猛などを
簡単にご参照。

空海が説明しているように、いわゆる真言密教は大日如来という宇宙そのものである
一神教的な神への「加+持」祈祷でその福果を我がものとする呪法となっていたと
思います。

創価学会はこの空海の真言密教の宇宙=大生命からの福を受けるという思想そのものに
日蓮が強調した法華経誹謗や従わない者への呪い、堕地獄の悪果で脅迫する思想を
結合して支配に服するように要求する一神教の宣布、布教のパターンをそのまま体現して
いたと言ってよいものと思われます。

「真言密教の真言のご利益+日蓮の法華誹謗への呪詛」のセット版が創価学会の
現代版「日蓮真言派題目教」であったのは間違いありません。非仏教にして一神教的
新興宗教としての「日蓮題目」の利用教だったというべきと思います。

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/10(火) 16:19:47.73 ID:6+Onh9b6
>>19のつづき
しかしこの空海の「真言によって宇宙の無限の源に繋がることで、すべてが簡単に
解決、飛躍、転換する」という加持祈祷の思想の矛盾はまさに簡単に認識できて、

前スレ718>誰も彼もが自分の欲得のために真言呪術的に祈祷するなら、つねにそれらが
バッティングし合って互いに戦いと争いになり、祈祷と祈祷が叩き合うことになるわけで
そもそもが成り立たないはずで、そういう矛盾を助長する「戦いの祈祷呪術としての
真言的題目信仰」

は本質的、根本的に成立しないはずでした。これはそういうただのエネルギーとしてしか
存在していない神では、誰にも彼にも真言の効能でチカラが現れてしまうことになって、
その真言を唱える者同士でこの世の富の奪い合いや名誉の奪取合戦をしてつねに叩き合う
運命は避けられなくなるからです。

成立するとしたら、それは「悪い者でも真言を使えば世界、宇宙をその呪術的な魔力で
支配できる」という結果もあり得ることになり、結局それは「力による支配」「真言に
よって得た武力による宇宙統一」みたいな「永久の権力への意志」「ニーチェ的無神論
だがチカラだけは神秘な宇宙神から汲み出して我がものとできる悪魔教」に成り果てる
ことでしょう。

つまり真言で誰でも簡単に(つまり易行で)引き出せる神の福果があるということは、
そんな「ただの風呂桶にエネルギーがたまるだけの神」に原因があったわけで、
<知能のないエネルギー神>をあがめる汎神論の本質的根本的欠陥を意味しています。

仮にもし「仏教」がそうした「知能のない唯一神=荒ぶるエネルギー神」に帰依する
汎神論に回帰するのだとすれば、それはそうした矛盾の招来にすら気づくことすらでき
なかった<東洋的な知の根本的欠陥>だったと言え、その現代版が「創価学会的真言化
題目教」だったのだと言えるのではないでしょうか?私にはそう思われてなりません。

21 ::2015/03/10(火) 20:38:03.25 ID:tSwERQcZ
>>17さん
色々と勉強になりました、ありがとうございます。

>それが後期仏教に習合されて密教になりました。

そうなりますと、真言とは本を正せば仏教ではないって事でしょうか?
1 釈迦、マガダ語で説法
2 弟子達がマガダ語で口伝
3 その口伝にもとづき、サンスクリット語で編集
4 鳩摩羅什が漢訳

1の以前のバラモン教と仏教の習合したものというわけですね。
そんなことから、法華経の説法者を陀羅尼呪文で守護するという菩薩達が描かれている理由ですね。
これで納得したような気がします。
なんか変だな〜とは思ってはいたんです。
宝塔品でも“弾指”をする釈迦が描かれていますが、これは密教とは関係ないのでしょうかね。

ただ、その“神秘的で派手”な教えって、自己中になってしまわれませんか?

22 :山椒島 ◆AUtVVr2znk :2015/03/10(火) 23:26:40.99 ID:f5UzYCFF
>>11-12 7 さん
あ、私は傾斜角で考えてました・・・なので60度の方がキツイです(笑

漆と金箔・・・物価の違いは分かりませんけど、結構な費用がかかりそうですね。
明細誌や感見記などの文献に、塗った張ったなどの記述があったかどうか・・・。
いかにも塗りそうなのは日精ですよね、やっぱり。御影堂の趣向を見ても。

>>15 さん
「見た目は凡人、中身は仏」という、完全無欠の超絶人格になることです。
他にも様々な表現で信者を煽っていますので、それぞれの公式サイトなどを見て下さい。

23 ::2015/03/11(水) 00:12:08.44 ID:vOtG5eEY
>>22山椒島さん

 メ  ←と、こんな感じて足を大地に突き刺し池を眺めていたならば蓮華座という明星は見えていたかもしれませんね。

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/11(水) 15:17:29.79 ID:sci1z3YJ
>>19>>20
いくつか根本的な誤解と混乱があるように思います。
梅原猛さんのその著書は知っていますが、一般向けの本としては小冊子ながら部分的に踏み込んだ好著です。
しかし、あなたのいう「仏教から一神教的なものへの飛躍」が空海によるかのようには読めません。
空海は不空から恵果を経て密教の正系を相承したので、大日如来を教主とする密教体系は空海の独創ではありません。

また密教における大日如来は、普遍的な法身であって、エネルギーの塊とか一神教の唯一神とは似ても似つかぬものです。
むしろ諸仏諸天が両部曼荼羅に配当され、ひとしく尊崇されるのを見れば、一神教より多神教に近いといえます。
真言の寺院でも大日如来のほか、不動明王や観音菩薩など、本尊はさまざまです。
しかし日本神話やギリシア神話のように、互いに争ったり暴力をふるったりすることはありません。
これは法身たる大日如来の化身であったり使いであったりするとされるからです。

密教の加持祈祷は中国や日本の朝廷などで重用されるようになりましたが、これは国家の要請です。
空海も鎮護国家のために東寺を、真言密教の道場として金剛峯寺を創建しました。
あなたがいうような、唯一神の魔力に頼るのでは単なる呪術であって仏教ではなくなります。
教義的には、祈って叶わざることなしと謳う日蓮教や、絶対他力を説く真宗のほうがそれに近いのではないかと思います。

また創価が真言の真似をしたというより、そもそも日蓮が他宗を真似て教義を立てたように私には見えます。
曼荼羅や即身成仏は明らかに真言の真似で、題目は当時、流行した念仏の真似でしょう。
しかし密教では曼陀羅は瞑想修行のために観想するもので、日蓮教のように、本尊として拝み、祈るものではありません。
文底秘沈は禅宗の不立文字の真似だとも思えます。すべて外見的な真似だけで中身がない。
創価の「仏とは生命」は、「南無妙法蓮華経が本仏」ではあまりにイミフなので、苦し紛れの

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/11(水) 15:19:27.78 ID:sci1z3YJ
24の末尾の訂正

× 創価の「仏とは生命」は、「南無妙法蓮華経が本仏」ではあまりにイミフなので、苦し紛れの
○ 創価の「仏とは生命」は、「南無妙法蓮華経が本仏」ではあまりにイミフなので、苦し紛れの一般化でしょう。

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/11(水) 15:59:35.60 ID:sci1z3YJ
>>21
>そうなりますと、真言とは本を正せば仏教ではないって事でしょうか?

真言(マントラ)そのものはヴェーダが起源ですが、密教もしくは真言宗は仏教以外のなにものでもありません。
ただ原始仏教、部派仏教、大乗仏教と、仏教の歴史的展開によって、かなり趣が違うのと同様に、密教は顕教と違った特徴をもっています。
密教がその他の大乗仏教と区別され、真言乗とか金剛乗と呼ばれる所以です。
だいたいインドでは古代から独特の言語哲学があって、聖なる言葉や音が宇宙と繋がっているような観念があります。
印契をムドラ―といいますが、ヨガのポーズもムドラ―といいます。言葉と同様、これによって宇宙と交信できるという観念もあります。
インドの踊りやバリ島の踊りをご覧になったことがあるでしょう。踊り子は手の指で複雑な所作をします。あれです。
法華経宝塔品の「弾指」はよくわかりません。意味があるとすれば、やはりヴェーダの時代が起源ではないでしょうか。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/11(水) 16:01:56.44 ID:sci1z3YJ
>>21 (26の続き)

>その“神秘的で派手”な教えって、自己中になってしまわれませんか?

全然そうは思いません。神秘的で派手というのは外見のことです。
上で触れたインドやバリのダンスを見るとネックレスやブレスレットをまとって、密教の神仏のようでしょう。そういう意味です。
また密教は天台の五時八教説や日蓮教の五重の相対などのように、実質的に他の教えを切り捨てるような構造ではありません。
それぞれを包摂しながら高次の段階に進んでいきます。それぞれが仏の尊い教えとされます。
真宗のように、この経典はダメとかいうのはまったくなく融通無碍そのものです。
最澄のように奈良の南都六宗と争い、法華経の戒壇にこだわらなくても、顕教はどこで学んでもよい。
ただ密教の受戒は密教の修行をしたうえで密教による必要がある。いわば大学に対する大学院みたいなものでしょう。
本スレの冒頭で述べた渡辺照宏氏が、ある本でこんな逸話を述べています。
ある娘さんに就職の話がもちあがった。それはキリスト教関係の団体で、採用するには洗礼を受ける必要があるという。
その娘さんは真言宗の信徒だったので、知っている真言宗のお寺の住職に相談した。
すると住職は「相手がそういうなら洗礼を受けなさい」と言ったそうです。結局その娘さんは洗礼を受けず就職を断ったそうですが。
真言僧にしてみれば宇宙全体が大日如来の顕現ですから、洗礼を受けようと仏道さえ守れば無問題というわけです。
こんなことは他宗を邪教呼ばわりする日蓮教や創価では考えられないことではないでしょうか。
釈尊は他の宗教も頭から否定はしませんでしたし、仏教に帰依したアショーカ王もそうでした。
柔軟で寛容な原始仏教の精神は、むしろ最後期の仏教である密教によって回復されたと言えるでしょう。

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/11(水) 18:18:17.76 ID:t2+wQiaB
いい加減しつこい
毎度毎度ダラダラと長いし
他でやってくれ

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/11(水) 21:34:11.83 ID:QgJJBcfS
>>25
>創価の「仏とは生命」は、「南無妙法蓮華経が本仏」ではあまりにイミフなので、
苦し紛れの一般化でしょう

19-20ですが、こうではない、と言ってます。

戸田氏や池田氏の「宇宙即生命」論は要するに汎神論です。それは「なんとなく
生きている」シロモノで、ある意味「不気味な存在」なのです。

なんとなく「生きている」ので、ミミズやアメーバや単細胞生物のような、明瞭な
意志的人格存在ではなくて「常にぼーっと生きている」イメージで考えているのだろう
と推測され、それは「永遠のいのち」を持っている「生ける水」のようなイメージでしょうね。

だから「加持祈祷」で「大日如来から流出する真言」を用いれば、大日如来から不思議な
(自動的に)力が戴けて、病気も治る、という「現世利益」が得られることになるという
説明でぴったりすることになります。この場合、その真言が「オンアボギャー・・・」とか
の梵字真言ではなくて「ナンミョーホーレンゲーキョー」の連続唱えとなるだけのことで、
戸田、池田両氏らの信念信仰というものは要するにそうしたものだったのです。

ですから、わたしは単純に「真言化日蓮題目」教と呼びました。理論は空海の「即身成仏義」
や「声字実相義」「吽字義」などの説明にあるもので、真言に「法華題目」を使っただけ、
と言えるということを言っていました。

ですから、>>17の>「密教について私は述べましたが、これは密教にかぎらず、日蓮系以外の
伝統的な仏教宗派は現世利益を説いてはいない」は「違うでしょう」と言ったわけですが、

真言宗は現世ご利益のために確かに加持祈祷し、禅宗ですら曹洞宗なども瑩山禅師の時代には
道元が禁じた加持祈祷を解禁していました。瑩山はその際、密教的な加持、祈祷、祭礼などを
取り入れたのでした。このように加持祈祷は真言密教の伝統から流入していたことは瞭然で、
真言密教が加持祈祷で現世利益を実現しようとしてきたことはどのようにしても否定できないのです。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/11(水) 22:02:07.46 ID:QgJJBcfS
>>29のつづき
ですからここで問題になるのは、

>「加持祈祷」で「大日如来から流出する真言」を用いれば、大日如来から
(自動的に)不思議な力が戴けて、病気も治る、という「現世利益」が得られる
ことになる

ということでした。これは「真言を唱える」という「機械的な操作」で「自動的に」
いくらでも「生けるいのちの水」をくみ出して飲めることになり、好きなだけ生きられる、
あるいは病気にもならずに強い心身で人生は幸せ全開でぶっ飛ばして生きられる、
みたいな「強者=超人志向の思想」になれるということでした。これが祈祷戦争に
なる原因であろうと。

それを具現していたのが、あの「某」氏だったようにも思います。彼の場合は、
悪いことに、この「加持祈祷」の作法を他人の精神を支配するためにも用いていた
かもしれません。

それが不思議と彼の周囲の取り巻きの人間を虜(とりこ)にして従わせ、逆らうと
地獄にオチルぞみたいな脅迫観念を抱かせて支配していた可能性もありました。
尤も、一旦つかんだ会長教祖の地位で会員信者の信仰的求心力を利用してその配下
に入っていることでいろいろなメリットが得られるという組織のチカラも合わさって
の共同現象的な持ち上げ合戦でその求心的地位を不動にしたということもあるわけ
でしょうが、そうしたこの世の現世的な地位の獲得にも、実際この真言的題目教の
面目躍如なんでしょうね。

しかし、そのようにして呪術的現世利益の追求は年老いてからどのように結果する
のかは、実際のところはやや心もとない印象はあります。やはり無理に(通力と
呼ばれる)超能力的呪術を使うことには、忌避すべき弊害があるように思うのです。

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/11(水) 23:30:08.23 ID:MIcE8/Hi
>日蓮が強調した法華経誹謗や従わない者への呪い、堕地獄の悪果で脅迫する思想を
結合して支配に服するように要求する一神教の宣布、布教のパターンをそのまま体現して
いたと言ってよいものと思われます。

ちょっと待て。
日蓮が主張するのは、「法華経絶対主義」ではなく、真実を重んじる態度の絶対化だ。
真実を歪曲して、自己の利益を優先するものは地獄に落ちる。
当たり前の話だろ。
話をすり替えるな。

それからな、仏教における一神教的な教義は念仏宗であり、その他力本願、厭世思想を日蓮は糾弾しているわけで。
阿弥陀仏って実在の仏じゃないだろ?そんなものに帰依(南無)してどうなる?
「妙法蓮華経」は少なくとも実在している経典だが?そこらへんの違い、わかるだろ。

だから、文句あるなら出て来いや。
2chでグダグダ言って何になるんだ?
まずおまえのその不細工面をさらしてから、他人を批判しろ。
できないなら、黙ってろアホ。

32 :米山士郎 ◆jI9WHdcIZs :2015/03/12(木) 00:25:49.02 ID:C2h155Hn
>>19>>20さん
私は31さんではありませんが、31さん同様、色々と疑問です。
一つのコメントだけでも、何がいいたいのかさっぱりわかりません。
それが複数のコメントにわたっており、疑問点が多いです。
仏教学の解説なのか、あなたの独自な学会批判なのか明確にした方が良いと思います。
コテハン+トリップ付きにしてもらえないでしょうか?


対してID:sci1z3YJ さんのコメントはすんなり入ってきます。

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/12(木) 01:10:11.51 ID:ZWxavCJB
前にもいたよね。
イミフな長文を連投する真言マンセーの人。

34 :米山士郎 ◆jI9WHdcIZs :2015/03/12(木) 01:16:38.73 ID:C2h155Hn
>>33
そういえば、そんなことも有ったかもしれませんね。混乱な文章って学会や正宗の人に多いと思います。
私のブログ記事でも古いものは学会ぽい書き方をしていました。w

35 ::2015/03/12(木) 01:28:46.62 ID:0lMZtfgU
>>26-27さん
ご教授を承り有難うございます。
私としては、真言、密教がどのようなものかをもう少し認識してみようかと思います。それまでは意見を控えておきますね。
その上で法華経と密教の併合した解釈が、日蓮教義の中に含まれているのかを探ってみたいと思いました。

「不動愛染感見記・・・自大日如来至日蓮二十三代嫡々相承」

と、前から気にはなっていたのですが、
その法華経オンリーの日蓮が、密教の解釈をどのように受けとめていたのだろうかと?
でも、日蓮にかかってしまえば、「すべては釈迦仏の化身!」っで締めくくってしまうかもしれませんね。
祈祷云々や真言の話から逸れてすみませんでした。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/12(木) 09:33:37.82 ID:wgcidbtS
日蓮ほど信者とそれ以外で評価が極端に分かれる宗祖はいないのではないか。

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/12(木) 19:02:47.83 ID:UbEkzzNb
>阿弥陀仏って実在の仏じゃないだろ?そんなものに帰依(南無)してどうなる?

法華経を説いた釈迦も、実在した釈迦をモデルにした架空の存在なんだけどね。

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/12(木) 19:49:17.61 ID:Ub3VJ0tz
>>31
書かれていることが支離滅裂な感じです。もう少し落ち着かれてはと思います。

>>32
>31さん同様、色々と疑問です

具体的におっしゃってみてください。問題あれば検討しますので。

39 :山椒島 ◆AUtVVr2znk :2015/03/12(木) 21:25:34.98 ID:VmFj/Vjl
>>35 7 さん
初期の日蓮文書には、法華=真言 or 法華<真言という記述が散見された記憶があります。
法華最勝にたどり着いて以降は、書かれている通り、大日如来も釈尊の所従、多宝如来の脇士ですね。

40 ::2015/03/13(金) 06:19:44.26 ID:sJhku6f4
>>39山椒島さん
建長5年に開宗されたときの日蓮には“法華=真言or法華<真言”と思っていたので、翌年に不動愛染感見記が書かれたのですかね?

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/13(金) 08:52:53.77 ID:/qOpJdZG
法華=真言でも法華<真言でも法華>真言でも、思うのは日蓮の勝手だが、それを修して受戒を受けてからにしていただきたかった。
聞きかじりや読みかじりのいい加減な認識で色々言ったり書いたりするから末代まで無学の恥をさらすことになる。

42 :山椒島 ◆AUtVVr2znk :2015/03/13(金) 21:59:57.80 ID:8dWfOq1f
>>40 7 さん
開宗と言っても、実際には天台宗内の新派を立ち上げたようなもので、日蓮も弟子達も、自前の寺院や
草庵などが確保されるまでは各地の天台寺院に住み、公私共に天台僧として行動していますからね。

>>41 さん
受戒について、直接的な確証ではありませんが、そう推測出来る文書はあるにはあります。

43 ::2015/03/13(金) 22:58:51.39 ID:sJhku6f4
>>42山椒島さん
そういえば今迄に、日蓮が破門されたのかどうなのかってことは考えてもみなかったのですが、
天台宗教義延長ではの日蓮派開宗ってことなのでしょうか?
例えば、創価学会員でありながらしての、別解釈で世に出はじめたようなもので、
御書根本を所以に、「南無日蓮遺文!」と、その学会から否定されにくいようなものを、題目として教義上に示すかのような・・・?
語呂は唱えにくくて疲れそうですけど、喩え話なのですのでお察しを。

44 ::2015/03/13(金) 23:25:56.61 ID:sJhku6f4
>>31さん
法華経を踏み台にし、「日蓮御書根本」などを現世利益を説く方こそ歪曲ではないのか?
ここらへんの違い、わかるかな。

まぁ君等姿も真実として歴史に残るものでもありましょうから、来世にはご一緒に笑って仲良くしましょうね。
ビールおごってね・・・・どうよ?

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/14(土) 08:24:47.00 ID:1H5QtUI0
先月、元学会員のおばちゃんが、急に亡くなって、
昔から知ってる人だったから、告別式に行って顔見てきたけど、
白くてキレイな顔で、ぜんぜんオッケーでしたよ・・。

(妙法尼御前御返事)
「臨終の時色黒きは地獄に堕つ」・・玄奘三蔵臨終・・「色白し」と。
天台大師の摩訶止観に云はく『身の黒色は地獄の陰を譬ふ』等云云。

(摩訶止観の該当ぶぶん・・)
正法念云。如畫師手畫出五彩。
黒青赤黄白白白。畫手譬心。『黒色譬地獄陰。』←←← ここが引用元
青色譬鬼。赤譬畜。黄譬脩羅(修羅)。白譬人。
白白譬天。此六種陰。止斉界内。若依華厳云。
心如工畫師畫種種五陰。界内界外一切世間中莫不從心造。

※※他人の死に顔について、白だの黒だの知ったかぶりの嘘ついてて、
聖人とかホント、やかましいわ、ブタ坊主が・・。

でね、摩訶止観の該当箇所は、五陰+天の六つと、絵師があつかう
六つの色を、心の状態に置きかえて感受性の表現にしてるけど、

地獄の心ってどんな色のイメージ? て聞かれたら、黒でしょ?
と答えるような、そんなたとえ話。

黒は地獄、青は鬼、赤は動物で、黄色は殺りく、白はふつうの人の色、
白白の天は透明で、でもその六つの色の良し悪しを比較するのは止めましょう。

「莫不從心造」は、現象世界は、心という絵師が作り出したイメージだと言ってる。

死相とは書いてなくて、「身の」が日蓮さまの付け加えた、さりげないオリジナル・・。

天台大師の名声だけで、原文には死に顔の黒白なんて書いてないわな・・。

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/14(土) 08:42:23.76 ID:1H5QtUI0
前すれで、平盛久が東寺灌頂堂を修復した、という記述から
芋づる式に1264文永元年のすい星の年表見つけ出したけど、
これ御書検索すると、

(撰時抄)
問うて云く正嘉の大地しん文永の大彗星はいかなる事に・・。

とあって、日蓮さまはやっぱ文永元年の大すい星は認識してんね。

巨大すい星らしいんで、とうぜん鎌倉でも見えたはずだから、
全国各地で、雨乞い祈祷のさかんな時期とも重なって、
一か月後に法華真言勝劣事という真言対策を書かないかんはめに・・。

光物 (物のひかり) も御書検索で一件ヒットして、龍の口から九日後の日付で、

(四条金吾殿御消息)
三光天子の中に月天子は光物とあらはれ竜口の頚をたすけ、
明星天子は四五日已前に下りて日蓮に見参し給ふ、
いま日天子ばかりのこり・・・、

光り物を三部作のシリーズ化したいみたいですが、二番目の明星天子は
相模の庄屋の庭に下りてきて、でもこのときは四条金吾はもう帰ってしまった
あとのこと。なにやら作り話をやりとりしても平気な間柄みたいね。

そのあとさらに、法華経から三つの引用があって、
法師品「則遣変化人為之作衛護」、(だれかを守るためにすがたを変えて使わされます)
安楽行品「刀杖不加」、(刀を振り下ろせない)
普門品「刀尋段段壊」、(刀がこまかく折れてしまう)

刀尋段段壊は、平盛久の首切り刀が三つに折れた話ともぴったり。
龍の口から九日目で早くも、ひかりものストーリーのアイデアが
ぞくぞく出揃ってきてるみたいですね・・。

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/14(土) 08:57:20.15 ID:1H5QtUI0
>>39>>41
法華真言勝劣事のりくつは、真言の印契は身で、マントラは口、
でも真言には意がなくて、身口意の三業がそろってないからダメダメなのだ、
と一方的に決めつけてる。

逆に法華経には、印契と真言はないけれど、二乗作仏と久遠実成の
スーパーフレーズがあるから、内容的に圧勝してるのは
明らかである。。。。とかなんとか日蓮さまは
おっしゃってんだよね。

これ言ってることがイミフというより、アホなん? としか思わんけど、
さらにぐだぐだいろんな引用と、決めつけをくり返してて、
しばらくガマンして読んでると、あることに思い当たる・・。

やっぱ、真言のスーパービジュアルには対抗できない。

という危機感のあらわれじゃないでしょうか?

印契、マントラ、金ぴかド派手な仏具群、大日如来の仏像、
絵曼荼羅、護摩壇の炎とともにかもしだされる独特で神秘な空気感・・、

それに比べて、ジミーな四文字熟語と、よく意味のわからん
文章が羅列してるだけで、おもしろくもなんともない、法華経世界。

大衆は常に娯楽としてのビジュアルパフォーマンスを求めてるんで、
日蓮さまも、そこにようやく気がついたんだろね・・。

>>42
受戒は、国家公務員資格で、仏教部門の上級キャリアのことですよ、
現代とはちがう、もう一つの意味がある・・。

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/14(土) 14:37:14.46 ID:OPct2uCP
>>45
>黒は地獄、青は鬼、赤は動物で、黄色は殺りく、白はふつうの人の色、

それで創価の三色旗の意味がわかりました

49 :山椒島 ◆AUtVVr2znk :2015/03/14(土) 21:28:25.26 ID:t6T8hLgh
>>43 7 さん
延長での開宗といいますか、日蓮が主張したのは日本天台の「復古」と「復興」ですね。
佐渡期以前の文書には「法華真言」(つまり台密)というフレーズや、叡山を日本仏教の「棟梁」として称揚し、
それが念仏の流行のせいで衰退したと嘆く表現が多用されます。だから「念仏をやめろ!」と言ったわけです。

創価学会で例えるなら、鴨川総県(←呼称は適当です)の男子部長あたりが、「牧口先生の時代に還れ!
随方毘尼はやめろ!謗法払いをしろ!仏法対話じゃなく折伏をしろ!」などと言いだしたようなものですか。

ですが結局、天台は「仏教総合大学」路線のままで、「法華涅槃専門学校」にはなりませんでした。
その結果、日蓮の独自性が浮き上がることとなり、時代の経過と共に別の宗教となっていったのだと思います。

>>47 さん
過去スレでも話したことですね。

50 ::2015/03/15(日) 04:21:57.76 ID:BFxZ9hcu
>>49山椒島さん
巷ではよく日蓮の 「立教開宗」 と説明されておりますが、
分かりやすく言えば「教の改修」というような表現で考えたほうがいいのでしょうか。(注※ 今回は駄洒落のつもりではありません、キリッ)

それを意図した「南無」・・・ほにゃららって事だったのですね。ようするにこの題目というのは、ただのスローガン的なものにも思えてくるようにもしますが?

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/15(日) 08:29:05.35 ID:rj2Z1g3f
>>46
あとで気がついたけど、普門品て、観音経のことなのね。

であれば、千手観音の千日参り中に、
密告によって幕府にとらえられた盛久の、首を切れなかった
刀が三つに折れる話はまさに、普門品の「刀尋段段壊」
そのものだから、完全に後付のつくり話だったんだの・・。

盛久が捕えられて、でもなぜか許された。という事実に
霊験談のオマケストーリーを考えて、献策したのは
大江広元が京都から呼び寄せた才能あふれる
祐筆、学者といった人たちの中にいたんでしょうけど。

であれば、日蓮さまは、こういう分野を得意とするひとだから、
龍の口から早くも九日後には、80年前の故事にならって
自分のできごとに霊験談の構成を始めてるという。

仏教解釈はダメだけど、ストーリーテラーとしてはかなり才覚ある。

>>47
結局、法華宗は、真言に対してビジュアルが圧倒的に弱いから、
生涯を通して、真言をののしりつづけないと、
営業が成り立たん、てことなんでしょうね。

庶民は、シンプルで、見てすぐわかるものじゃないと食いつかない。

あたま使わずに、目で見てるだけのほうが心地いいもんね。

そこであたま使わずカンタンな、なんみょー題目ですよ。

真言の金ぴか仏具類は金かかり過ぎるから、
貧者のための、シンプルで経費のかからん書道まんだらとか・・。

52 :山椒島 ◆AUtVVr2znk :2015/03/15(日) 10:20:23.63 ID:v/aWCehp
>>50 7 さん
「教の改修」、そうですね。そもそも当の日蓮が、公に「天台沙門」と名乗っていますからね。
まぁ、この件は有名ですから、ご存知のように日蓮正宗や創価学会でも種々言い訳も用意されてはいます。
もっとも、そのおかげで、日蓮は「身分詐称の嘘吐き坊主」という汚名&濡れ衣を(また)かぶるわけですが。

あと、現代の私達の感覚で錯覚しやすいものでは、門下達の「法華宗」の名乗りもそうですよね。
現代でこそ日蓮系の代名詞みたいですけど、もともとは天台宗の別称、天台法華宗の略称なのですから。

巷の評価や説明は、それはそれで良いと思います。日蓮系の主張をそのまま受容したこともあるでしょうけど、
実際、法華専心という主張は容れられずに日蓮は独自色を強め、統合しもされもせずに現在に至りますから。

ただ、そういった結果論そのままに当時を観ると、色々と辻褄が合わなくなるのでは、という話です。

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/15(日) 17:24:37.02 ID:/XqZG1qY
ただね、日蓮遺文を読むと竜の口のシーンとか幕府での諫暁のシーンとかその状況が
目に浮かぶような筆致で書かれているから、コロッと信じる者が出るのもあるのかなって
思うんだよね。
 なんか『私の戦争犯罪』吉田清治著の慰安婦狩りのシーンで朝鮮の女性が嫌がってる
サマが目に浮かぶのと同じような感じでさ。
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140604/dms1406041140003-n1.htm

日蓮と吉田清治、共通しているところがあると思うんだよね。
どっちも詐話師。

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/15(日) 17:46:14.31 ID:cBPYiYwO
>>42
>受戒について、直接的な確証ではありませんが、そう推測出来る文書はあるにはあります。

本当ですか?どんな文章ですか?

>>51
>仏教解釈はダメだけど、ストーリーテラーとしてはかなり才覚ある。

なにかと話を盛ったり、思いこみで断定的に語る傾向はありますが、種種に限って言えば、これは偽作なのでは?

>>52
>そもそも当の日蓮が、公に「天台沙門」と名乗っていますからね。
> もっとも、そのおかげで、日蓮は「身分詐称の嘘吐き坊主」という汚名&濡れ衣を(また)かぶるわけですが。

沙門は単に出家修行者という意味ですよね。これは無位無官ですから別に身分詐称に当たらないのでは?

55 :山椒島 ◆AUtVVr2znk :2015/03/15(日) 20:13:40.16 ID:v/aWCehp
>>54 さん
真蹟を遺す「行敏御返事」、これは念仏僧の行敏からの書状を、日蓮が引用した上で返信したものですが、
その引用文中で、行敏は宛名を「日蓮阿闍梨御房」と記しています。つまり、一般にも日蓮は阿闍梨号を
持つ僧として認識されていた(かも)ということで、ここにある程度の可能性を見出すことは出来ると思います。

もちろん、判断するには不明な点も多過ぎますし、否定的に見ようと思えばツッコミ所はいくらでもありますから、
これを以っていきなり比叡山に結び付けたり、積極的に肯定したりするつもりも、そんな義理もありません(笑

「天台沙門」についてですが、私が引っかかっているのは「沙門」ではなく「天台」の部分です。
正宗系教団の言い訳は煩雑ですので略しますが、要は「天台を名乗ったが本音は違うのだ」という趣旨です。
「国家諫暁のために仮に称しただけで、天台みたいな低レベルなトコは立教開宗時点から相手にしてない」と。

では日蓮は、安国論を幕府に売り込むために「私は権威ある天台宗の僧侶デス!」と詐称したのですね、と。
ついでに弟子達も、内輪では散々disりながら「僕達は(天台)法華宗ですよ〜」と布教したのですか、と。
(日蓮系は、後に天文法華の乱で叩き潰された際に「以後は名乗りません」と誓わされるまで「法華宗」でした)

56 ::2015/03/15(日) 20:18:21.41 ID:BFxZ9hcu
>>52山椒島さん
確かに日蓮は謙虚にも“天台沙門”と自らを名乗ってはおりますが、
不動愛染感見記での「自大日如来至日蓮二十三代嫡々相承」とは随分と高慢にも思ってしまうのですが?
そこでこの不動愛染感見記を調べてみたところ、偽書との見解をされているようです。

山椒島さんはどのように思われますでしょうか?

57 :山椒島 ◆AUtVVr2znk :2015/03/15(日) 21:18:02.86 ID:v/aWCehp
>>56 7 さん
不動愛染感見記の扱いは、門下でも人によって分かれますね。私はどちらでも良い派です。
相承が教義の根幹にある人達ほど、躍起になって偽書だと言い張ります。無理もないですけど。

日蓮本人の記述通り、念仏にも密教にも関わって、最終的に法華最勝に至った、で良いでしょうにね。
最初から、(少なくとも「内緒内緒の御内証」では)全知全能・完璧超人の御本仏でないと困るのでしょう。

どこぞでよく聞く「嫡々相承」の語に騙されがちですけど、このような書は宗派門派問わず、全国津々浦々で
やりとりされていたでしょうから、この場合も、日蓮−日吽間で「嫡々」であって、別に密教代表ではないかと。
他にはいない一子相伝の北斗神拳ではなく、多流派ある南斗聖拳の皆伝書という感じで理解しています。

高慢という意味で言うなら、「三国四師」の方がはるかに「大きく出たなあ」と思いますよ(笑

58 :38:2015/03/16(月) 01:04:36.19 ID:cwkkt2Yv
盛り上がってるところすまないが、要するに君らの言い分は、日蓮大聖人は末法の仏でも何でもなく、
むしろ仏教を騙る詐欺師やペテン師の類だというわけだ?

ならば聞きたいんだが、いったい誰が正しく、どの宗派を信じればいい?
建設的な批判というなら代替案を示してもらいたい。
大聖人は、法華経の理念こそが仏法の最高峰であるとの確信から他宗を批判せざるを得なかったわけだが、
君らがいかなる理想に基づいて大聖人を批判するのか、それが不明瞭だ。

もし仮に、思想や人物の批判そのものを悪とし、それゆえに大聖人を悪とするなら、それは違う。
戦争=悪ではあっても、その他の競争や闘争を悪とするのはガキの戯言だ。ましてや当時の御成敗式目などを持ち出すのはナンセンス極まりない。
また「法華経最勝」の思想が誤りであるとするなら、何を以て誤りとするのか?
それを指摘するには、あらゆる経典への理解と、さらには人間の幸福や生命の本質を熟知する必要があり、並大抵ではない。
まずそんなことが、我々や2ちゃんの議論で可能とは到底思えない。

他人を批判する場合、それよりも優れた方法を自分が知っている、あるいは、
その人物なり思想を単に感情的に攻撃する場合の二通りしかないと思うが、
君らの論調は、俺には後者であるとしか聞こえない。
なぜなら、君らは何のビジョンもスキームも示さないし、己の思想的立場も明かさないからだ。
「私はこう思う。だからあなたの考えは間違いだと思う」
この世の中をどうしたいのか?人間の幸福とはどういうものか?その実現のために何をすべきか?
それを聞きたい。
君らは、仏教に何を期待し、大聖人の主張にどう幻滅しているのか?
それが不明では、こちらも反論のしようがない。

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/16(月) 06:31:46.21 ID:wRdQrtrk
三十代でポアしろと騒いでおりながら
五十代で死刑にされそうだ濡れ衣だとか(笑)

綾瀬の拘置所ぐるぐる回ってるのと
何にも変わらないなぁおい

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/16(月) 07:16:36.84 ID:3psoL5MC
>>58
>それを指摘するには、あらゆる経典への理解と、さらには人間の幸福や生命の本質を熟知する必要があり、並大抵ではない。

だろ?なのにいいかげんな知識と思い込みだけで他宗を誹謗中傷したから日蓮は当時でも幕府に罰せられ、今でも批判されているわけだよ。

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/16(月) 08:33:25.37 ID:v9rQ6kVk
日蓮受刑者

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/16(月) 09:45:24.81 ID:fC399r/Y
>>55
>もちろん、判断するには不明な点も多過ぎますし、否定的に見ようと思えばツッコミ所はいくらでもありますから、
>これを以っていきなり比叡山に結び付けたり、積極的に肯定したりするつもりも、そんな義理もありません(笑

そう予め言われてしまっては返す言葉に困りますが(笑)、これはやはり受戒したと推測することは相当な無理があると思います。
真蹟と言っても「日蓮の真蹟」であって「行敏の真蹟」ではないでしょう。つまり日蓮がオリジナルを書写した際に「日蓮阿闍梨」と自分で書いたわけです。
もちろん、このことは行敏のオリジナルに日蓮阿闍梨と書いておらず、日蓮の加筆であるという直接の証明にはなりません。
しかし、行敏御返事(文永8年)に先立つ文永元年に、既に当世念仏者無間地獄事で浄円房に対する書状で「日蓮阿闍梨」と自ら名乗っています。
つまり日蓮は他人の評価はさておき、自分ではこの間、阿闍梨を自称していたと推測できます。

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/16(月) 11:13:41.95 ID:PBs8O9Nz
>>58
啓蒙主義以前でのあり方とその時代時点でのそれへの批判、と
啓蒙主義以後のスタンスでのそれへの批判、とでは、
その批判の意味も質も異なっているはずです。

現代という啓蒙主義以後の時代からは現代の知的水準、情報の水準からなされる
批判があり、それに基づいて啓蒙主義以前の一切が同じ水準から批判がなされるでしょう。

それは、キリスト教に対してであれ、イスラム教に対してであれ、また仏教に対してであれ
同じことでしょう。それは自分がいま理想としている思想からの批判、というよりも
純粋に歴史的な批判になっているはずで、思想から思想への批判ではないのでは
ありませんか?その辺がここでの主な視点であろうと考えられるのです。

ですから、あなたの視点はたぶん方向が違うでしょう。

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/16(月) 11:37:55.76 ID:PBs8O9Nz
>>63のつづき
鎌倉時代当時は、当時における事実認識の標準や、情報の範囲や量的質的な水準、
標準的で一般に流布している世界観や世界認識、そういうものがベースで多くの
人物がその水準に合った思想や信仰の主張や教説を信じ、また述べたわけであり、

それが西暦紀元前数世紀、また後数世紀、またその千年後、そのまた千年後では、
その水準や標準は異なり、また啓蒙主義以前と以後では、科学的な思考方法という
基本的な視点視座、また論理的思考の徹底度合い、またそれに基づく情報の量的
質的水準が決定的に違っているわけでした。

かつて、仏教で「空」の思想が語られていた時代の人々の世界観や認識論的観念が
この現代の物理科学の一定以上の成果後のそれとでは、たぶん基本的な思考や認識の
ベースが異なるかもしれず、当時のそうした思想にはその視点からみればそれほど
価値や意味があるものになっているかどうかも不明になりつつあるかもしれません。

大乗仏教と言っても、そうした哲学的、認識論的な次元での思想と、法華経などに見られる
超越的存在への信仰的、畏敬や畏れ、また信心といった次元でのあり方では、本質的に
別のものとしてあったものが混在していたとも言え、今でもそういうものが未分離のまま
この現代でもまだ「日蓮」とかいう人物概念でくくられて一挙にまとめて信じるべきことのように
提示されている状況は本当に正しいのかどうか・・・?

現代の伝統宗教においても、新興宗教においても、いまだにその呪縛から解放されていない
現実があり、それらを一つ一つ注意深く詳細に取り扱ってあらゆるものを啓蒙主義以後の批判に
晒して分解し、本質を解析して理解し解剖していく必要に迫られています。

その辺の認識を新たにして頂きたい、と考える次第。

65 :山椒島 ◆AUtVVr2znk :2015/03/16(月) 18:04:35.13 ID:M1YcraUD
>>62 さん
ええと・・・それはつまり、「日蓮御房」との宛名で送られて来たものを「日蓮阿闍梨御房」と書き換えて引用し、
差出人である行敏その人に返信したのだろう、ということですか?その方がよほど「相当な無理」がありません?

後段もよく分かりません。日蓮や弟子達が阿闍梨号を称していたことには、誰も異論は無いと思うのですが。
「当世念仏者無間地獄事」は弟子宛て・真蹟無し。むしろ受戒肯定派の人達が好んで使いそう文書ですね。
第三者や対立者など、当時の「他人の評価」に近い文書の方が、ずっと参考になるのではないでしょうか。

叡山・東寺とか行敏・良観らの側に何か資料があれば良いですけど、(少なくとも現時点では)無さそうですしね。

66 ::2015/03/16(月) 19:54:37.18 ID:s95hMZSt
>>57山椒島さん
文証・理証・現証・内証
「文証無からんをば捨てよとなり」
四証もあるってことが日蓮自ら示唆したような、「文底秘沈」ってものがありましょうから、
辻褄が合わなくなりますと、この法門が役にたってくるわけですね。
黙秘権にも似たような心境をよく表した教義でもありますかと?

>北斗神拳ではなく、多流派ある南斗聖拳の皆伝書という感じ

大乗仏教ならでの発想でありましょうから、分派の発生が次から次へとw
親の七光りも問題視されますし、坊主さんには大変ご苦労な仕事でもあることには哀れみをも感じます。
しかしその釈迦の血脈にも、白血球があって仏法だと思いますので、批判を楽しんで行こうかと思うこの頃です。

不動愛染感見記とやらも確かにどうでもいい話ではありますが、
月なんてコンパスで描いたようにまん丸だし、絵は上手かと!

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/16(月) 20:21:26.91 ID:pV44qBM/
>>56
>不動愛染感見記での「自大日如来至日蓮二十三代嫡々相承」とは随分と高慢にも思ってしまうのですが?

いやいや相承の系統を強調する場合、密教系でこの言い方はわりと普通。
禅宗でも正式にはこんな感じになる。

>そこでこの不動愛染感見記を調べてみたところ、偽書との見解をされているようです。

まず真蹟。金沢文庫蔵の、覚鑁の著作の真筆書写とか考え合わせると当然でもある。

68 :山椒島 ◆AUtVVr2znk :2015/03/16(月) 22:14:11.52 ID:M1YcraUD
>>66 7 さん
内証は「内心証悟」あたりの略語ではないかと・・・たぶん(汗

でも、そうやって並べてみると、対外的な議論に「内証」を持ちだしたらダメですよね。
「内心の悟り・自覚」なのですから、言うならちゃんと根拠=三証を挙げて裏付けないと。

ですから、例えば文証に反する内証なんて、本当ならありえないんでしょうね。

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/16(月) 22:24:18.90 ID:r83tIhe+
>>67
>まず真蹟。
お主、不動愛染感見記を見たことがあるのか?
本文はどうでもよいw
問題は、絵の方だ。
この絵は、コンパスなど円を正確に描く道具がないと書けない。
大聖人が、そんな道具を持ち歩いているわけはなく、また身近にそんな道具を持っている人が居たと思えない。
また、かなり細かい絵であるため、絵心がある人間がある程度専門の道具を使って描いた絵とみるのが妥当。

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/16(月) 23:10:19.94 ID:pV44qBM/
コンパスねえw 古代からあるごく普通の道具なんだがw
「規矩」って日本語しってっか?
阿字観すんのにすら真円書く必要があるんだからなw

それはともかく、密教は図像を多用するので、密教の
道場があるところならば、修行者にせよ或いは外部の
職人にせよ図像を書いてもらう当ては必ずあるのだよ。
密教寺院の精細な絵曼荼羅みて、あんなの書けるわけがない、
というのと変わらん愚論w

で、絵図を他人に書いてもらったら本文の日蓮の筆蹟になんか関係があるのかw?
日蓮と密教の関連をそこまで否定したい理由がオレにはさっぱりわからんよw

71 ::2015/03/17(火) 01:03:57.64 ID:uyP2m09n
>>64さん
感化してしまうって事の表現が適してるでしょうか。

>>68山椒島さん
その「内心証悟」があっての文証が表れてくるかと思いますし、
これだとキリがありませんねw
他人がいうに、ぶっちゃけ「日蓮内心の推測」っていうのではありませんかw

>>70さん
あの日蓮がコンパスみたいな道具を利用している光景を想像してみますと滑稽でもありますね。
なんか、暇つぶしにでも書いたような・・・繊細な絵。

72 :38:2015/03/17(火) 02:14:22.62 ID:9ogDHO5A
>>63
レスありがとう。
君の意見を要約すると、君たちは啓蒙主義以降の論理的手法に則り、日蓮大聖人とその思想を、
思想的に、または宗教的にではなく、「歴史的に」批判しているんだね。
その結果として当然目につく様々な齟齬や矛盾(すなわち当時の知的水準の限界としての)を淡々と、特別な感情はなしに、
指摘しているのだと。

なるほど日蓮大聖人もまた、当時の蓄積された知識や情報から、論理的に経典を批判したのではなかったか?
真実を愛し虚偽を憎む心は、今の君たちと変わらないだろう。
その心をも圧し殺し、他宗へのいかなる批判もすべきではなかったともし言うなら、
今の君らの行為とは何なのか?
多くの人がタブーを恐れて口を閉ざす中、あえてそれを犯し、多くの反感や悲嘆を呼び起こすことを承知で、
なおも君らが一宗派を糾弾するのはなぜか?と問いたい。

あるいは「いい加減な知識や思い込みだけで他宗を誹謗中傷した」から、悪いというわけか?
いい加減かどうか、思い込みかどうかは、一概に現代の視点から判断することはできないと、
述べているじゃないか。

君も言及したように、日蓮その人への批判は、仏教その他の宗教のあり方への、
ひいては思想や哲学の構造そのものへの批判ともなりかねない。
そうなっては、さすがの君らでも手に負えない。
自分たちの思想的立場を明かさないのも、そういう危機感の表れだろう。

しかし釈尊は、知識や情報の蓄積によってではなく、
また既成の思想や宗教への「歴史的批判」によって悟りを開いたのでもなかった。
その辺の認識を新たにして頂きたい、と考える次第。

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 03:55:01.92 ID:kf4rF7TU
悟りの宗教である仏教に、仏罰なんて言葉が出てくるのはおかしな話だ。

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 04:24:14.48 ID:8Lv4thYq
http://www.jscpr.org/other/CultDVD.pdf

↑カルト防止のDVDが出るみたいだよ(^^ゞ

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 10:07:25.79 ID:7inB6FUJ
>>70
この書は、建長6年(立宗宣言の翌年)といわれており、鎌倉にて辻説法をしていたころである。
当然、貧乏の真っただ中。
そんな中、円を描く道具をわざわざ所持する余裕などあるかどうか・・・・。
また、一般にみる事が出来るのは「木版画」であり原本?ではない。
原本を見る限り・・・・絵と本文の文字が剥離しすぎている。
また、文字を書いている筆の太さから見ると、絵をかくために使った筆は尋常じゃないほど細いと思われる。
そんな、絵師しか使わないような筆を入手する余裕があるかどうか。
一行なら・・・・およそ同一人物の筆とは思えない。

76 :75:2015/03/17(火) 10:12:58.97 ID:7inB6FUJ
>>70追記
>職人にせよ図像を書いてもらう当ては必ずあるのだよ。
図像を他人に書かせたら、この書の意味は「0」である。
なぜなら、この絵は大聖人が感じ取ったイメージを描いているわけであり、他者にそれを書かせてもイメージ通りのものが出来上がるわけがないからだ。
さらに、この書の本文には決定的な矛盾がある。(日食の日時)

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 10:49:34.89 ID:RiHBq+7c
あははははここまで密教との関連を否定するのに躍起になってるのを見ると笑えるなw
そりゃ困りますよねえwwwwwww

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 10:53:24.55 ID:RiHBq+7c
>>75

あとな

>鎌倉にて辻説法をしていたころである。

これ史実としては極めて疑わしいのだよw

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 11:06:48.06 ID:rli/3AMd
>>75
円なんか支点となる棒と糸と筆があったら幾らでも書けるんだが。

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 12:48:19.90 ID:XQYL4syC
不動愛染感見記は筆跡があちこち違っているそうな。例えば「身」の文字↓
http://www.kitabayashiyoshinori.com/writing/sairenbou/zu_img/mi/index.html?keepThis=true&TB_iframe=true&height=530&width=650
どう思う?

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 14:40:36.87 ID:H+DnDjGX
>>65
>ええと・・・それはつまり、「日蓮御房」との宛名で送られて来たものを「日蓮阿闍梨御房」と書き換えて引用し、
>差出人である行敏その人に返信したのだろう、ということですか?その方がよほど「相当な無理」がありません?

そうではなく、日蓮が自分用の資料として書写したときに加筆した可能性もあるという話です。
山椒島さんならともかく、日蓮の性格傾向を考えれば、日蓮が加筆したとしても、別に無理はないと思いますよ。
ただこの、行敏御返事の経緯を考えれば、行敏の原文に日蓮阿闍梨御房とあったとのではと推測します。
日蓮は道隆や忍性に法論の書状を送りましたが、無視されたので、浄光明寺の良忠にも送ったのではないでしょうか。
良忠も日蓮に自ら返信するのは気が引けて、弟子の行敏に日蓮の言動を糺す文書を送らせたと考えられます。
その際、元の良忠宛の書状に日蓮が自ら「日蓮阿闍梨」と自署したので、行敏がそのまま宛名にしたと考えれば納得できます。

>日蓮や弟子達が阿闍梨号を称していたことには、誰も異論は無いと思うのですが。

そうなのでしょうが、それがおかしいと思うわけです。阿闍梨というのはしかるべき資格を有する高位の僧侶への敬称です。
基本的に他人が言わないのに、自分で名乗り出るものではない。日蓮系の自己申告万能の風習はやはり普通でない。
他の方々が議論されている「感見記」の「自大日如来至日蓮廿三代嫡々相承」なんてのは妄想の極致でしょう。
実際に相承したなら系譜を出さないと全く意味がない。だが無いものは出せない。出せないがあったことにしたい。
どうも日蓮系は、そういうのが多すぎる印象がありますね。

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 14:57:42.63 ID:H+DnDjGX
不動愛染感見記については日蓮宗要伝寺のHPに「日蓮遺文『不動愛染感見記』小考」という小論がアップされています。
それには以下のように結論しています。

>以上、日蓮真蹟『不動愛染感見記』について、その図絵の意義と内容について考察を試みた。これらの考察により、日蓮聖人が
>本書の図中に描写した様々なモチーフは、いずれも根拠を有するものであることが理解できた。(中略)すなわち、日蓮聖人の
>二明王感見という宗教体験は、こうした既存の神話上の世界観と矛盾がないことが指摘でき、それは取りも直さず、そうした
>世界観を根底にして本図の様々な構成要素が意図的に書き加えられていることを意味するのである。

日蓮宗なので丁寧に表現していますが、要はこれらの図像には元ネタが存在し、それを模したものだということです。

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 16:18:17.65 ID:sM32RH5S
筆致が違うのを真蹟とするのはいかがかと。

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 19:09:43.14 ID:MF/DE5LA
パクリ坊主日蓮

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 19:19:14.67 ID:sLNPLy0Q
http://s.ameblo.jp/kitani1/
http://taniken3.blog114.fc2.com/
http://nitiren21.blog.shinobi.jp/ 👀

86 :山椒島 ◆AUtVVr2znk :2015/03/17(火) 19:46:41.68 ID:ZfKwlIqX
>>70 さん
仏師(絵仏師)ですよね。私なんかは、流行りのフォーマットに文章書いただけでは?と考えてます。

>>71 7 さん
普通に推測なのでしょうけどね・・・「究極の秘奥義をまるっと受け継いだ!」って言うんですよね・・・。

>>81 さん
「初度の難状」とあり、文中「風聞の如くんば」とありますが、実はそれ以前にもやりとりがあるのですか。
それで、返信でも転送でもない、手元保管用のコピーだけ、わざわざ自分の名前を書き換えるのですか。

以降は略しますけど、ますますおかしくないですか?ほとんど文底秘沈級ですよ。

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/18(水) 00:06:49.23 ID:1SXpyPY1
>>80
よりによって学会の謀略部隊にいる、北林芳典かよ。
学会がこれまでほとんど肯定したことのない、授決円多羅義集唐決を持ってきているのがおかしい。
授決円多羅義集唐決と真筆として肯定するのがダメだろ。正宗や学会の過去の教義からすれば困るはず。
密教色の濃い、授決円多羅義集唐決を公式に肯定するのか?

不動愛染感見記が偽書でも真筆でも君たち学会が拝んでいる日蓮曼荼羅にある不動愛染はどう解釈するのか?
授決円多羅義集唐決一つと不動愛染感見記一つの比較では断定できない。

一方の密教遺文(不動愛染感見記)を否定して、もう一方の密教遺文(授決円多羅義集唐決)を
肯定するとはどういう見方か?
学会や正宗が正統派であるという教団都合な本尊論にこまるからででしょう。

一般の日蓮系は不動愛染感見記が偽書でも真筆でも困らないでしょう。

88 :米山士郎 ◆jI9WHdcIZs :2015/03/18(水) 01:09:46.26 ID:1SXpyPY1
87は私、米山士郎ね。

もし仮に他筆だとして、なおかつ不動愛染感見記が証明書だとしたら、他筆であることが
日蓮が受け取った遺文ということになる。

どういう意味かというと、卒業証明書、証明書のようなものだから、という可能性。
自分で自分の卒業証書の画の部分を書いて文章入れて、自分の名前書いて、
判子押してオレオレ証明書書くバカいる?

もう一度念の為に書くが、授決円多羅義集唐決の文字一つと不動愛染感見記文字一つの比較では断定できない。

これが真筆でより困るのは正宗より学会でしょうね。
なお、現在の日蓮宗で不動愛染感見記が真筆か偽書か真偽未決かどうかは私は知りません。

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/18(水) 06:14:37.34 ID:/Jlxr22c
現在の天台宗では阿闍梨と呼ばれるのは千日回峰行を満行した大行満大阿闍梨だけであって、
一般の僧侶である伝法阿闍梨は阿闍梨とは呼ぶことはないのですが、鎌倉時代はどうだったんでしょうね?

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/18(水) 07:19:19.30 ID:1oD0o/yt
自分から阿闍梨を名乗ったって
いいじゃないか
誰も呼んでくれないんだもの

日蓮阿闍梨みつを

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/18(水) 09:38:21.85 ID:mjP4+g1D
>>86
>「初度の難状」とあり、文中「風聞の如くんば」とありますが、実はそれ以前にもやりとりがあるのですか。

私の推測は81の通りです。各方で無視されたなかで、行敏だけが初めて日蓮を相手にしたのだから「初度の難状」になります。
そこで日蓮と面識のない行敏が、「風聞の如くんば」(=伝え聞くところによれば)と前置きするのはむしろ当然といえます。。

>それで、返信でも転送でもない、手元保管用のコピーだけ、わざわざ自分の名前を書き換えるのですか。

私は81に述べたように、この件では日蓮が日蓮阿闍梨を自署した書状を各方に送りつけていたため、行敏はそのまま宛名にしたと推測します。
しかしながら、日蓮が原文にない「阿闍梨号」を書き加えたという可能性をも排除しません。それくらいのことはやりかねない性格でしょう。
私としては、そもそもこれが行敏が日蓮に送った行敏の真蹟ではなく日蓮の書写だということに疑問を持ちます。
なぜ書写する必要があったのでしょうか。オリジナルがあれば書写する必要はない。加筆したという可能性は排除できません。
鎌倉の大御所連に無視された日蓮にしてみれば、これは後に続く御会通ほかの諸書へのプロローグのような位置づけになります。
それを意識して日蓮が体裁を整えようとしたとしても、日蓮なら不思議ではありません。

>以降は略しますけど、ますますおかしくないですか?ほとんど文底秘沈級ですよ。

ほかにもあるならどうぞ御遠慮なく。

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/18(水) 10:40:26.76 ID:mjP4+g1D
91の続き
なお日蓮が自ら日蓮阿闍梨と自署したと私は先に述べましたが、これは「そう名乗った」というくらいの意味に解してください。
日蓮の幾多の書状の本文そのものには型通り、「日蓮 花押」になっているのはむろん承知しています。
一般に「自署」と言うと「署名」という意味もありますから、自署といえば花押と意味が重複してしまいます。
私は当時の書状の体裁や送付の慣行を知りませんが、封筒のようなものがあれば、それに日蓮阿闍梨と書いたかもしれません。
また送りとどけるのは弟子にやらせたのでしょうが、弟子に「日蓮阿闍梨」と表書きさせたのかもしれません。
あるいは寺号もない日蓮に対していきなり行敏が書状を送るにあたって一応「日蓮阿闍梨」と実際に書いたのかもしれません。

いずれにしても「日蓮や弟子達が阿闍梨号を称していたことには、誰も異論は無いと思うのですが。」(>>65)とのことですので、
改めて論点を元に戻しますと、この行敏御返事の日蓮の写しにある「日蓮阿闍梨」をもって

>受戒について、直接的な確証ではありませんが、そう推測出来る文書はあるにはあります。(>>42

というのはかなり無理があると私は思います。やはり日蓮はいかなる受戒もしていないと考えられます。

93 :山椒島 ◆AUtVVr2znk :2015/03/18(水) 12:51:18.68 ID:eIjuJoYm
>>91 さん
はい。で、広く確実とされる文書をストレートに読んでの推測には、相当・かなりの無理があって、
それに反する「かもしれない」の積み重ねが、さも当然のように成り立つ根拠は何なのでしょうか?

日蓮が日昭ら弟子に対して、弟子達が日蓮に対して、あるいは弟子同士の間で、阿闍梨号を
付けて称した文書は数多く遺りますが、日蓮が、しかも消息文で自称した例を私は知りません。

あなたの推測を裏付ける確証or傍証は何ですか?勘文調の写本の書き出しだけですか?

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/18(水) 17:09:50.06 ID:mjP4+g1D
>>93
いいですか。行敏の直筆原本は残っておらず、あるのは日蓮による写しだけです。
なぜ写ししかないのかも疑問ですが、原本に日蓮阿闍梨の文字があったかなかったか、
あったとすればなぜあったか、なかったとすればなぜ日蓮が加筆したか、これらについては可能性の話しかできません。
もっといえば行敏とは何者か、本当にそういう僧侶が浄光明寺にいたのか等々も疑い得る事柄かもしれません。
何人といえども事実はこうであったと断定する確実な根拠はない以上、私が推測として述べるのは当たり前です。

また日蓮が弟子らに対して阿闍梨を自称したことがなかったのなら、自身で保存用の写しに加筆するのは不自然でしょうが、
自分で阿闍梨だと思い込んでいたのなら、他人が自分に宛てた宛名に日蓮阿闍梨と「訂正」しても異とするに足りません。
これは原本にない加筆をしたという場合です。

また出自の定かならぬ無名の日蓮が各寺に単純に「日蓮」名で書状を送りつけても一顧だにされる見込みがなければ、
たとえば封書の表書きに「日蓮阿闍梨」と記したとか、あるいは弟子が各寺に行き、「日蓮阿闍梨からの書状がござる!」
などと門前で大声で呼ばわったとか、いずれにしても本人が阿闍梨をもって任じている以上、あり得ないことではない。
これは日蓮の自称阿闍梨をそのまま受けて行敏が、日蓮阿闍梨と宛名にしたためたという場合です。

また日蓮が外部に対して阿闍梨を自称したことが仮になかったと仮定しても、面識のない日蓮に糾問状を送るにあたって、
行敏がいちおう礼儀上の敬意を表したとすれば別に不自然ではありません。行敏自身も特に高位ではなかったでしょうし。
これは行敏が自主的判断で日蓮阿闍梨と宛名に書いたという場合です。

私としては、この日蓮筆の、行敏からの書状の写しにある「日蓮阿闍梨」の文字をもって、「日蓮が受戒したと推測できる」(>>42
とは到底思えませんが、あなたがそのように推測しておられること自体を批判するつもりはありません。

95 :山椒島 ◆AUtVVr2znk :2015/03/18(水) 20:31:59.32 ID:eIjuJoYm
>>94 さん
いいですかも何も、私の方から予め「推測」「可能性」だと、何度もお断りしているでしょうに。

要は、あなたの推測を多少なりとも裏付ける資料は、特に何も無いのでしょう?
私の>>55の時点で、「なるほど、可能性はあるねー」で済む話ではないのですか?

登場人物を増やしたり、キャラ設定をしたり、お弟子さんを叫ばしたりする必要も無いでしょう。
推測だけなら、日蓮は末法の本仏になりますし、ひかりものだって江ノ島の空を飛びますよ。

それから、私は受戒断定論者でも、積極的肯定論者でもありません。

96 ::2015/03/18(水) 23:25:28.87 ID:uguy7HvL
あれっ、阿闍梨号って伝法灌頂があっての賜物ですよね?
当時、日蓮には「弟子という者」がいたのでありましょうから、行敏も大人なのだから天台僧侶日蓮に便箋的な礼儀としても変じゃないよね。
はなっからケンカ腰の訴状文だったらマズイですよね?

「法華経行者の池田名誉会長殿、是非法論を願う!」

一応穏当にこのように言うとも思いますが。

97 :山椒島 ◆AUtVVr2znk :2015/03/19(木) 09:30:46.21 ID:kSgPuVys
>>96 7 さん
それをするなら、本文中ですね。

消息文の宛名や自署は、どこの誰が見ても一発で分かるよう、何より正確性が最優先されます。
謙譲とか、礼儀とかを表すにしても、あくまでも広く認知された事実であることが大前提です。
阿闍梨で無い者を阿闍梨と呼んだりするというレベルの改変は、少なくとも私は知らないですね。

例としては、日蓮から忍性への書状が分かりやすいですよ。

本文では「当世日本第一の持戒の僧」(行敏訴状御会通)などと、(多分)心にも無いヨイショをしますが、
宛名では「極楽寺長老良観聖人御所」(写本・極楽寺良観への御状)がせいぜい、といったところです。

ですから、稀に相手の官職を間違った手紙などが見つかると、歴史界ではちょっとしたニュースになります。

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/19(木) 11:25:02.16 ID:kisIqSow
>>96
94ですが、おっしゃる内容そのものには同意です。94でいえば4番目のパラグラフに当たります。
ただ池田大作を例に出したのは、この場合、あまり適切ではないと思います。
池田大作はいろんな意味でたいへん著名です。したがって池田大作宛なら「創価学会名誉会長 池田大作殿」で十分です。
日蓮は今でこそ池田大作以上に著名ですが、当時、それほど公式には有名ではなかったわけです。
おそらく「他宗の誹謗中傷をしている得体の知れない僧形の不審者」といった認識だったと思われます。
したがって例えるなら池田大作でなく、「熊沢天皇」とか「千石イエス」のほうがふさわしいと思います。
どちらも「天皇」や「イエス」を自称しながら奇行をするということで世間に認識されていました。
もし私が熊沢天皇や千石イエスに糾問状を送るとすれば、それを宛名にせざるをえません。
ほかに公式なタイトルはないですから仕方がありません。

また、ご指摘のように密教では阿闍梨や大阿闍梨といえばしかるべき要件をそなえた最高位の僧侶を指します。
台密でも同様で、89さんのご指摘の通りです。特に千日回峰行は常人のなしうる業ではありません。
しかし日蓮は密教に魅かれてはいたものの、とくに入門して修行した形跡がなく、いわば門外漢にすぎません。
密教以外で阿闍梨と名乗るのは漠然と高位の僧侶に対する敬称といった意味合いだと思います。
サンスクリットのアーチャリーあるいはアーチャリヤは「先生」というような意味ですからこれはこれで原義に即しています。
したがって本人が阿闍梨を名乗っている関係上、行敏が日蓮阿闍梨と宛名に書いたかもしれません。
少数ながら弟子を従え、一家をなしていたわけですからね。会社がいかに小さくとも社長が社長なのと同じです。
これは94の三番目のパラグラフになります。

99 ::2015/03/19(木) 22:17:16.35 ID:kO0qdFql
>>97山椒島さん

日蓮が法華経勧持品から転用し僣聖増上慢を例えたような“良観聖人”との宛名は挑発的な嫌味たっぷりの書ですね。
良観も当時は阿闍梨号を受けていたようで、「そんな学術称号などなんのその!」言わんばかりの語りにも思いますね。
もし良観殿が、ここから反論するならば・・・「お前のことだろが!!」って声が聞こえてきそうな、、、w

なんか、こういう展開、好きです。

>>98さん
昔、マスコミでは「名誉会長」と池田氏を呼んでいた記憶があります。(国会での証人喚問の時でしたか?)
ただ、ここでの名誉号は組織内だけでの称号なだけであって、庶民にはな〜も誉れてはいないのですね。
嫌味的に本音でいうのであれば、「法華経行者池田阿闍梨殿」と呼んでもいいかもしれませんね。
まぁ、他人様を「クリきんとん!」などと言われる御方なのでしょうから、公の場には不向きなのかもしれませんかと。

“日蓮阿闍梨”と誰が書いたのかは定かではないかもしれませんが、
法華経行者としての上行菩薩ならでは、阿闍梨号など不要なものだったはずですしね。
 「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」
やっぱ、これでしょうかw

100 :山椒島 ◆AUtVVr2znk :2015/03/20(金) 00:22:57.53 ID:b0P18mXV
>>99 7 さん
まぁ、そうなのかもしれませんが(笑

日興・日澄写本(というより、私は日興筆と考えていますが)を遺す「頼基陳状」に、江馬氏の書状にも
「極楽寺の長老は世尊の出世と仰ぎ奉る」とあって、この呼称で広く認知されていたことが分かります。

つまり、宛て名としても呼び名としても、風習通りに正確に記したのだろうと思いますよ。

101 ::2015/03/20(金) 21:25:35.90 ID:+qF7AmRI
>>100山椒島さん
日蓮の “心にも無いヨイショ” ってことですね。
これも一応、「随方毘尼」ってことでしょうか?

102 ::2015/03/20(金) 21:48:24.54 ID:+qF7AmRI
心外ではありますが、
私がオウム信者さんと宗教の話をする機会があったとしたら、
「麻原尊師」と呼称させてお話をするかもしれませんね。

この板で信者さん達には申し訳ございませんが「日蓮!」って呼ばせてもらいますね。
または、「元初天才バカボン!」とかって、誉めているんだか貶しているんだか?・・・こんな意味不明な言いかたとか・・・。

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